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古墳(こふん)を造り続けた人びと -古墳時代-

公開日 2014年12月01日 00時00分

古墳(こふん)を造り続けた人びと -古墳時代-

3世紀後半の古墳時代に入ると、滝地区で人々が生活を始め、新河岸川と荒川低地が一望のもとに見渡せる見晴らしのよい場所に権現山(ごんげんやま)古墳群(県指定史跡)が造られました。

およそ1700年前の古墳時代初期に古墳は次々と造られて、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基と方墳11基からなる権現山古墳群が形成されていきました。

最近の調査で、古墳の周りをめぐる溝の中から墳丘に飾られた壺や高坏(たかつき)が発見され、当時を知る貴重な手がかりになっています。

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権現山古墳群2号墳

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権現山古墳群2号墳出土の底部穿孔壺形土器

5世紀になると、権現山古墳群の築造は終わり、そのすぐ北側に円墳1基と方墳3基からなる権現山北古墳群が造られるようになります。

円墳の周りをめぐる溝の中からは、関東で最古の部類に属する須恵器(すえき)はそう[市指定文化財]や円筒埴輪(はにわ)片などが出土しました。

5世紀後半から6世紀ごろには、行田市埼玉(さきたま)古墳群で巨大な前方後円墳が造られるなかで、各地では中小規模の古墳が多く見られるようになりますが、ふじみ野市でも新河岸川を望むハケ遺跡の高台の一部を発掘調査したところ、古墳をめぐる溝の一部が発見され、巫女と考えられる人物埴輪がまとまって出土したため、墳丘の形はわかりませんが人物埴輪で飾られた古墳が造られたことがわかっています。

また、川崎遺跡や滝遺跡、長宮遺跡で集落が営まれ、7世紀後半に松山遺跡に集落跡、川崎舌状台地の西側斜面に川崎横穴墓(おうけつぼ)群、富士見台から駒林へ下る斜面に富士見台横穴墓群が造られました。

ハケ遺跡巫女埴輪

ハケ遺跡出土の巫女の埴輪

地図

お問い合わせ

社会教育課 文化財保護係
TEL:049-220-2088

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