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大井郷土資料館館内紹介

公開日 2014年12月01日 00時00分

大井郷土資料館案内

1階

  • 常設展示室(141.55平方メートル)
  • 特別展示室《郷土学習室》(68.76平方メートル)
  • 事務室(93.19平方メートル)
  • 荷解室(25.088平方メートル)
  • 燻蒸室(12.38平方メートル)

2階

  • 研修室
  • 収蔵庫1(86.90平方メートル)
  •  収蔵庫2(48.61平方メートル)
  • 特別収蔵庫(28.32平方メートル)

   大井郷土資料館の平面図[PDF:325KB]

常設展示室案内

年表

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展示室導入部には年表が掲示されています。旧石器時代~現代までの主に大井地区の歴史年表がわかります。

地形面の模型

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年表の向かい側には地形面の模型があります。武蔵野台地北東部全域を俯瞰できるものです。西から緩やかに台地がおちはじめ、荒川低地に望みます。地形断面図も下について市の地形傾斜角度がわかるようになっています。

縄文時代のコーナー

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大井地区の歴史のパイオニアの第一は縄文時代にあります。特に今から4000年前の縄文時代中期の集落は、埼玉県内でも屈指のものです。このコーナーでは発掘調査により出土しました中期の土器20個を年代順に並べ、文様や器形の変化を実物資料からつかむことができます。

柄鏡型住居の復元模型

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市内の東台遺跡から、出入口が長く突き出てちょうど柄鏡の柄部のような形をした住居跡が良好な状態で発見されました。その縮尺模型を展示しました。

中世コーナー

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鎌倉時代の初め、亀久保付近を支配したとされる二階堂氏ゆかりの仏画、また鎌倉幕府を開いた源頼朝の信仰により関東を中心に広く信仰された長野善光寺の本尊を模して作られた阿弥陀三尊像。戦国時代、小田原に城を構え、関東を支配した戦国大名、後北条氏が大井地区の農民にあてた古文書等の資料を展示しています。

これらの資料から中世の大井地区と各地との交流を見ることができます。

武蔵野図

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江戸時代、幕府の命により作成された武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)の地図です。17世紀中頃に成立した鶴ヶ岡村が記載されていないので、この地図はそれ以前のものであることがわかります。

絵図を見ると、集落の大部分が成立しており、道や河川により結ばれ、交易していたことがわかります。図の中心部の広大な空白は武蔵野の原野です。

武蔵野の開発は17世紀前半から川越藩主松平信綱によって積極的に進められました。

川越街道大井宿

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江戸幕府は、公用の旅行者に対し、荷物などを宿場から次の宿場へと人馬をかえて送り届ける宿継ぎを行うという伝馬(てんま)制度を設け、陸上の運輸、通信を統制する施設で連絡網として東海道・中山道をはじめとする五街道を整備しました。宿場には公用旅行者にための本陣(ほんじん)や一般旅行者のための宿泊施設である旅籠(はたご)が置かれました。

川越街道は、中山道の脇道として17世紀中頃に整備され、江戸から出発して板橋宿で分かれ上板橋・下練馬・白子・膝折・大和田・大井の六宿を経て川越にいたる約十一里の道のりでした。大井宿の本陣は、戦国時代に大井郷の開発に尽力した有力農民大井四人衆の系譜をひく新井家が代々勤めていました。

近世から近代へ

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大井地区は、武蔵野台地北部に位置する典型的な畑作地帯でした。昭和30年代までは武蔵野の面影を色濃く残す「平原村落」でしたが、急速に都市化が進んだ昭和40年代以降、生活様式の変化により農具をはじめとする民具の散逸を憂えた大井町郷土研究会(当時)の有志により、大井地区で使用されていた農具や生活用具数千点が収集されました。

平成6年3月、これらの内434点が、農業やそれらに関わる用具や衣類が武蔵野台地北部の農耕の特色を示すものとして、埼玉県の有形民俗文化財に指定されています。展示室には資料の一部を展示公開しています。

常設展示室入って右側のの立ちケースは季節展示、ミニ展示コーナーです。季節にちなんだ資料などを随時紹介しています。

お問い合わせ

大井郷土資料館 学芸係
TEL:049-263-3111

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