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福岡河岸記念館の開館まで

公開日 2015年01月20日 11時46分

福岡河岸記念館の開館まで

 新河岸川風景

ふじみ野市の東側を流れる新河岸川は、かつては伊佐沼(川越市)を源とし、江戸時代中期から昭和初期まで多くの船が往来していました。川の沿岸には多くの河岸場が開かれ、本市にも福岡河岸が設けられました。そして、近隣農村と江戸を結ぶ、経済流通の中継地になっていました。

江戸時代後半から明治時代中期にかけて栄えた福岡河岸には吉野屋・江戸屋・福田屋の3軒の船問屋がありましたが、そのうちの一つである福田屋(旧星野家)の土地・建物が、昭和62年(1987年)、ご子孫のご厚意により市に寄付されました。市教育委員会は平成元年(1988年)11月2日に、建物を市指定文化財に指定し、貴重な文化財として末永く後世に伝えるとともに、明治時代中頃の船問屋を再現し、郷土の歴史と地域の文化について理解を深めていただくため、平成8年(1996年)11月3日、福岡河岸記念館として開館しました。

新河岸川舟運のあらまし

新河岸川舟運は、寛永15年(1638)に焼失した川越の仙波東照宮の再建資材を新河岸川を利用して運んだのが始まりとされています。

舟運が本格化されたのは川越藩主松平信綱の時代で、正保4年(1647)頃といわれています。武蔵野開発や元禄7年(1694)の三富新田開拓による近隣農村の農業生産の発展にともない、沿岸には多くの河岸場が設けられました。

新河岸川は、「九十九曲りゃ あだでは越せぬ 通い船路の 三十里」と舟唄に歌われほど曲がりくねっており、ゆっくりとした流れで水量を保ち、舟運に適していました。川幅も広いところで80間(約145メートル)、狭いところでは10数間(約20メートル)とかなり変化に富んでいました。和光市新倉で荒川に合流し、その後、隅田川に入り、浅草花川戸で河口になります。

新河岸川を航行していた船の種類には、不定期の並船(なみぶね往復1週間から10日)、急船(きゅうぶね往復3日から4日)、飛切船(とびきりぶね今日下って明日上る特急便)、雁船(かりぶね さつま芋・野菜等、特に秋から冬の雁が渡来する時期に運航する船)等があり、舟運の最盛期である天保期には乗客を主とした早船(はやふね)と呼ばれる船も登場しました。

新河岸川河岸場位置図

福岡河岸の歴史

福岡河岸は、対岸の古市場河岸の繁栄を背景に、享保18年(1733)頃から、福岡村の人々が農業のかたわら回漕業を営んだのが始まりとされています。江戸屋・吉野屋・福田屋の3軒の問屋が江戸幕府より公認され、福岡河岸での舟運が本格化しました。この頃の船問屋は、船で荷物を運ぶ回漕業の他、農家に肥料を売って、その代価として農産物を受け取り、江戸に回漕する仲買商も兼ねるようになりました。天保2年(1831)には福田屋の七代仙蔵が船問屋を開業し、天保10年には現在の河岸記念館が建っている高台の土地に移り住みました。

江戸末期には舟運の最盛期をむかえ、取り扱う荷物、数量ともに次第に増加し、それまで肥・灰が中心だった江戸からの上り荷物にも肥・灰の他、干鰯(ほしか)・米糠・魚〆粕(しめかす)・明俵(あきだわら)などが見られるようになりました。

福岡河岸は明治期に入ると、対岸の古市場河岸とともにひとつの町並みを形成し、道の両脇には足袋屋・カジヤ・桶屋などの職人の他、荒物屋やうどん屋など、近隣農村に住む人々相手の店が軒をつらね、両河岸一体となった町並みがにぎわいをみせました。

明治28年(1895)、国分寺・川越間を結ぶ川越鉄道(西武新宿線)が開通すると、福岡河岸の吉野屋以外の船問屋は回漕業を縮小し、次第に肥料や酒・荒物などの小売業に移行。明治末年には、福田屋・江戸屋は回漕業を止め、吉野屋だけが大正末年まで船問屋として営業を続けました。

大正3年に池袋ー川越間を結ぶ東上鉄道(東武東上線)が開通。この鉄道建設にあたっては当時衆議院議員であった福田屋十代仙蔵が中心的な役割を果たし、建設資金の寄付や鉄道用地の確保などに奔走しました。

その後、明治43年の大水害を契機として大正10年から新河岸川改修工事が始まり、昭和6年の通船停止令によって事実上舟運の時代は幕を閉じました。

福岡・古市場河岸場図

回漕問屋(かいそうどんや)福田屋

福田屋は、天保2年(1831)に福岡河岸の問屋株を借りて回漕業を始めました。明治20年代には、回漕業の最盛期をむかえ、荒物・醤油の小売商も始めました。明治28年に川越鉄道が開通するといち早く鉄道輸送も取り入れ、商売を広げていきました。船問屋の営業は明治末年に止めました。

福田屋には、明治時代中ごろに十数棟の建物が築かれていました。そのうち帳場が置かれた主屋(おもや)と台所棟(だいどこ ろとう)、文庫蔵(ぶんこぐら)、離れ(はなれ)が現存しています。県内でもめずらしい明治期の船問屋の様子を伝える貴重な文化遺産となっています。

福田屋印鑑印影

景観重要建造物第1号に指定される

新河岸川の舟運の歴史と、川風を感じられる気候・風土を活かした建築であるとともに、主屋・台所は舟問屋としての帳場、金庫部屋などを備えた間口六間の店構えで明治期商家の特色を保持し、建築当時としては珍しい木造三階建ての離れが、新河岸川から眺望され地域のランドマークとなっていることから、景観法第19条1項の規程により、福岡河岸記念館の主屋・離れ・文部屋庫蔵・塀・石垣がさいたま市を除く県内で初めて景観重要建造物に指定されました。

景観重要建造物プレート

お問い合わせ

上福岡歴史民俗資料館 管理係
TEL:049-261-6065

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