東台の製鉄工場 -奈良時代-
8世紀の奈良時代には、「奈良の大仏」に象徴されるような大規模な国家的事業が推し進められました。
全国に国分寺や国分尼寺が建てられ、各地で瓦や須恵器(すえき)を焼く窯(かま)などが作られた工房が設けられました。
ふじみ野市でも、鉄の生産が行われていたことが東台遺跡で判明しました。
発見されたのは、砂鉄から鉄の塊(かたまり)を作るための製鉄炉(せいてつろ)が7基、燃料となる木炭を焼く窯が10基、その他、炉の原料となる粘土を採るために掘った穴や、鋳物の型となる鋳型(いがた)が見つかっています。
中でも羽釜の鋳型は直径が60センチメートルもある大型品です。

羽釜の鋳型出土状態

製鉄炉
半地下式竪形炉と呼ばれ、円筒形の土管状に作られた炉の中に砂鉄と木炭を詰め、背後に設置した足踏み式のふいごから送風して砂鉄を溶かし鉄の塊を作ります。
木炭窯
登り窯状と呼ばれる地下に作られた穴窯で、奥行きが8メートルもあります。その他窯の横に穴がいくつも開けられた横口付き木炭窯も1基見つかりました。

更新日:2020年03月02日