土器誕生 -縄文(じょうもん)時代-

土器誕生 -縄文(じょうもん)時代-

1万5千年前の縄文時代になると、気候は暖かくなり、食糧になる動植物に恵まれました。

東台遺跡からは9千年前の市内最古の縄文土器が出土しました。

6千年前の縄文時代前期には、さらに温暖化が進み、東京湾が現在の荒川流域の低地まで入り込んでいました。

この海辺に沿って集落がつくられ、狩猟の他に、魚や貝を採取する生活が営まれていました。

上福岡貝塚や川崎遺跡はこのころの集落跡で、貝塚(かいづか)と呼ばれる食用の貝がらの捨場や重要文化財の片口(かたくち)土器がみつかっています。

5~4千年前の縄文時代中期には、小河川に沿って大規模な集落が営まれるようになりました(西・ハケ・亀居〈かめい〉・西ノ原・東台遺跡・神明後遺跡など)。

また、注口(ちゅうこう)土器・石棒など祭祀(さいし)に使用されたと思われるものや、耳飾りなどの装飾具も現れるようになります[権現山(ごんげんやま)・鷺森(さぎもり)遺跡]。

上福岡貝塚から出土した黄土色の重要文化財片口土器の写真

上福岡貝塚出土の重要文化財片口土器(個人蔵・東京国立博物館にて展示中)

地面に柱を立てた跡の穴が円形に並び、中央に火をおこす場所の跡が残っている柄鏡住居跡の写真

縄文時代中期の柄鏡住居(東台遺跡)

縄文時代中期の東京湾の地形を描いた地図の写真

縄文時代中期の東京湾(『新編埼玉県史図録』より引用・加筆)

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更新日:2020年03月02日