造兵廠と大井倉庫

昭和12(1937)年から20年の太平洋戦争の終戦まで、現在の福岡1・2丁目から上野台団地一帯には旧陸軍弾薬工場の造兵廠(通称火工廠)がありました。

用地買収は昭和4年から始まり、その後第2・3次買収によって規模が拡大され、最終的には約16万5千坪(約54万5千平方メートル)の規模になりました。

最大700棟の建物のうち、危険物を取り扱う建物の周囲には、爆発しても周囲に影響を与えないよう厚いコンクリートの壁(防爆壁)が作られ、弾薬倉庫の周囲にも高い土塁が築かれていました。

ここでは、約5千人の従業員が機関銃弾、小銃弾から陶製手榴弾(チビ弾)、風船爆弾の電気雷管・信管の部品などを製造していました。

昭和19年8月から終戦時までは、川越中学校・川越高等女学校などの旧制中学校や福岡国民学校・大井国民学校高等科の生徒1,500人が学徒動員として、危険な作業に従事していました。

造兵廠の付属施設として、大井村亀久保地区(現文京学院大学から山下ゴム株式会社にかけての山林内)に約7,800坪(25,000平方メートル)の「大井倉庫」が設けられ、事務所1棟の他に、21棟の火薬庫・部品庫がありました。

上福岡歴史民俗資料館では、平成25年度から造兵廠全体の500分の1の縮尺模型を常設展示しています。敷地の規模・工場群の様子をビジュアルにいつでも見学することができます。平和教育にもご利用ください。

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更新日:2020年03月02日